※このコラムは10年以上前に書いたので時宜に合わないこともありますが、生活や考え方が当時とあまり変わらないこともあるのであえて掲載します。笑い飛ばしていただければ幸いです。
開発者はおばさんになれ
「あの、ひとつお聞きしたいのですが、主婦は食品がたくさん入る冷蔵庫がやはり欲しいのでしょうか。それよりきちんとムラなく冷える方がいいと思うのですが」。
これは10年前にあるメーカーの取材中に質問されたことである。私は目が点になった。その時の取材対象が大型冷蔵庫だったから、購入する人は冷蔵庫に入れる食品がたくさんある人たちだ。しかし、台所の狭さと予算の関係上、限りなく大型が買えるわけではない。であるならば同じ大きさで食品がたくさん入る冷蔵庫が欲しいというのはは主婦の共通の思いだ。たくさん詰め込むと冷えにムラができるというのは冷蔵庫製造者には常識だろうが、ムラなく冷えるというのは選択する性能ではなく、むしろ「冷蔵庫はムラなく冷えていて当たり前」というのが主婦にとっては常識だ。
冷蔵庫に限ったことではない。家電製品、食品、日用雑貨でメーカーの取材担当者(多くは商品開発者)が時として耳を疑うような主婦の気持ちに対する無知な発言をすることはまれではない。「そんなの主婦にとっては常識ですよ」というと「そうですか」と改めてメモをとる。しまいには「男の私ではわからないことが多いですからね」と頭をかく。
おいおい、あなた方の商品を買っているのは主婦ですよ。主婦にとってはごくごく常識的なことを知らずに商品を開発していいんですかねと私は心密かに思って、にっこり「今度の商品開発に是非、活かして下さいね」とお願いする。
確かに日常の家事をしたこともないような男の人には主婦の常識にはうといかもしれない。しかし、それが株や事務機のセールスなら問題はないだろうが、顧客が主婦が中心の商売をしている人には許されないことではないだろうか。
例えば、男の人が主に使うゴルフ用品や釣具、スポーツカーをそういうものを手にしたことがない女の人が商品開発をできるだろうか。絶対にさせてはもらえないだろう。ならば主婦は随分と舐められているもんだ。
「うちは主婦を中心とした社内モニターで主婦のニーズをくみ上げています」と言うメーカーも多い。しかしこれも「ちょっと待った」である。緊張した会議室では主婦の本音はなかなかいえないし、そのメーカーの非難もしにくい。日頃思っていることがあっても的確に表現できない。そういうモニターからくみあげたものが本当の消費者ニーズなのだろうか?
最近は女性スタッフが生活者の目線で開発した商品も多くなったが、決定権はその上司の男性がまだまだ握っている。
理想を言えば、主婦を対象とした製品に関わる人は男であれ女であれ主婦をすべきである。日常的に長期間にわたって主婦をやって初めてわかることは多い。しかし、日本のサラリーマン、残業続きで主婦なんかやってられないのが現実。ではどうしたらいいのだろうか。
まず、最も大事なのは、気持ちだけでも主婦になること。男の人も進んでおばさんになることだ。おばさんの目で自分たちの製品を見直してみよう。そして身近な主婦の先輩に教えを請うことである。奥さんであり、お母さん、近所のおばさんだ。たまにはテレビのワイドショーを見て、スーパーに大根を買いに出かけてみる。ホームパーティをしておばさんたちの話をそれとなく聞いてみる。
ユーミンがヒットを続けられたのはファミレスで若い人の話を耳をにダンボにして若者情報を得ていたからだというのは業界筋ではよく知られた話。ヒットの陰にはこういう地道な努力が必ずある(ユーミンもファミレスもダンボもわからないおじさんは出直してきてください)。
「いまさら男のオレがそんなことができるものか。家庭にまで仕事を持ち込みたくない」という人がいるのなら、男おばさんのおすぎとピーコから「だからあんたは甘いのヨォ!」と叱ってもらおうか。
「そのボタン操作めんどくさいからやめようよ」「それって流行ってんだってね。採用しよう」など、会社の会議でもおばさん会話が交わされるようになったらシメタものですよ。
ブラジャーの値段
「あの、私ね、1万円でブラジャー買っちゃった」とオオタニさん。オオタニさんはごく普通の専業主婦。子どもが大学生の四十代後半。1万円でブラ何枚買えるかしら、4、5枚かなと思った私に 「ちょっと高いとは思ったけれど、フランス製のレースがついていて体形補正もしてくれるのよ」と、オオタニさんはうっとり顔。今日つけたきたのというオオタニさん。いわれてみれば胸の谷間が普段よりこころなしか、くっきりしているような気もしてくる。残念ながら体形補正までは確認できない。
最近の若い人なら見せる下着と称してブラをちらりとみせるファッションも流行っているが、普通は人には見えないものである。その見えないものにどれくらいお金をかけているのか、とっても興味がわいてきた。
仕事で調査していることを口実に近所の奥さん連中に聞いてみてびっくり。オオタニさんは珍しいケースではなかった。普段は2、3千円前後のものを買っている人が多い。スーパーや通販でのお買い得商品という人も。しかし、大概の人が1万円前後の高級ブラも一つや二つは持っていて、補正下着に3万円かけたという人もいた。因みに夫の下着は、2枚980円のスーパーの特売という人がほとんどだった。
若い女性なら今日は勝負の日という時につける取っておきの下着にお金をかけるのはわかりやすいが、中年女性に「勝負の日」があるとは考えにくい。それとも長年連れ添った夫以外にも高級下着を見せる相手がいるのだろうか。携帯電話が普及して不倫が増えてきているといわれるが私の近所の奥さん連中もまさか・・・。
「あら、主人に見せたことはないわよ。内緒で買っているんだもの。見つかったらおこられるもの。不倫?ハハハ。誰がこんなおばさんを相手にしてくれるっていうのよ。自分で楽しむの。デパートなんかにお出かけの時に私は高級下着をつけているのよと思っただけでいい気分になるもの」とサカイさん。どうやら浮気の心配もなさそうだ。
江戸時代、贅沢廃止例が出て、庶民が派手な着物が着られなくなった時に裏地に豪華絢爛な刺繍を施し、それを粋と称したように現在、高級下着は中年女性にとって「粋」のようなものだ。また、長年連れ添ってきた夫はもうすでに気がつかなくなってしまっているかも知れないが、女性はいつまでも乙女心を持ち続けている。それを満たしてくれるのが高級下着なのかもしれない。
世のご主人たちよ、奥さんのタンスから見知らぬ高級下着を見つけたとしても決して問い詰めることなく、そのまま引き出しをそっと閉めて下さいね。
盗聴電話と短縮ダイヤル
「あの、うちの電話盗聴されているんですよ。どうしたらいいのでしょう」。高齢の婦人が立ち上がって質問した。ここは四国の地方都市の消費生活センター。10数年前に電話機事情についての講演を依頼され、ベルが電話機を発明してからコードレス電話、携帯電話、IP電話、インターネット通信まで電話機にまつわる話を2時間近く話した後の質問だった。
「お宅の電話はコードレスですか?」
「コードの着いた電話です」
「コードレスなら盗聴の可能性はあるのですが、普通の電話はプロが使う特殊な装置でなければ盗聴されにくいのですが・・・。何か盗聴されているという事例がありましたか?」
「あたしの隣の人がゴミを出していたから『今日はゴミの収集日ではないですよ』といったら、『そんなはずはない』と言い張るので、私が『役所に電話で聞いてみるから』といって電話をかけました。やっぱり収集日ではなかったので注意しよう思って、外にでるとゴミがなくなっていたんです。隣の人は私の電話を盗聴していたわけです。前からおかしいとは思っていたけどようやく証拠をつかんだんです」とやや興奮気味。 「・・・・・」。
次に質問に立ったのは中年の婦人。
「ずっと黒電話だったので、最新の電話に買い替えたいのですが、さっきご説明のあった短縮ダイヤルですが、どう使えばいいのですか?」
「よくかける人をダイヤルの1番に田中さん、2番に伊藤さんとあらかじめ電話番号を登録しておくと短縮でダイヤルの1番を押すと田中さんにかかるわけです」
「ああ、1番を押してから田中さんの電話番号を押すわけですね」 「・・・・・」。
また、別の中年の婦人からは「電話機は、NTT以外で買ってもいいのですか?」「電話機を買い替えると電話の基本料金も変わってくるんですか?」の質問もあった。
この地方都市は県庁所在地で情報が遅れるところでもない。だからこの地域だけが特別ということではないようだ。確かに消費生活センターの講座に出席するのは中高年が圧倒的に多い。若い層より商品知識があまりないのはしかなのないこと。にしてもびっくりするような質問が多かった。中にはインターネットについての専門的な質問をした中年の婦人もいたので全ての人がそうとはいえないが、中高年の人の商品知識はおそらくメーカーの人が想定しているより低いのではないだろうか。
確かにメーカーの人も舌を巻くほどの商品知識が豊富で、うるさ型の消費者もいる。そういう人はどうしても目立ってしまうのでメーカーもそちらに傾いてしまいがち。しかし、多くの消費者はそうではない。ボタン操作や使い勝手、注意表示などは、その多くの消費者を対象にして作られるべきではないだろうか。
ましてネットが進んだ現在は高齢者は新しい技術から置き去りにされている。
情報を伝える雑誌についても同じことがいえる。業界にとっては常識的なことでいまさらという事柄はどうしても省略されてしまう。しかし、多くの消費者にとっては決して常識でないことも多いはずだ。それを丁寧に拾って改めて説明することは大事なこと。この講演は、実際に記事を書いている私自身も大いに反省するきっかけとなった。
商品よりはまず子育て?
「あの、お母さんのね使い勝手を聞かれるけれど、まずは子どもの快適性でしょう」。
子ども用品メーカーのベビーカーの取材で私がした質問にむっとされたことがある。ベビーカーはお出かけの際に子どもを乗せるものだが、よく電車などで子どもを右手に抱き、左手にベビーカーと荷物を持って立っているお母さんを見かける。ベビーカーがもっと軽ければお母さんも楽なのにと思い、お母さん側から見た使い勝手の向上について質問したわけだ。
「軽くするということはですね、どうしてもクッション性能を削るわけです。軽さだけを追求すればもっと安いベビーカーも作れるんです。でも赤ちゃんはしゃべれない。ここが痛いとか、窮屈だとか説明できないのです。子育て期は、お母さんも大変な時期だと思いますが、赤ちゃんの時期は体や脳、精神が作られる大事な時期なのです。その成長に悪影響を及ぼさないない商品作りが子ども用品を作っている会社の使命だと思うのです」
製品作りにこれほど使命感をぶつ企業の担当者は初めてで、いつもは私が企業に対してお願いしていることを逆にやり込まれてギャフンとなった。
この企業は確かに口先だけではない。製品作りに生かすために、育児の研究、赤ちゃんの脳の研究、身体の研究、精神の研究を大学などの研究機関と共同で行っている。また、「あたたかい心を育てる運動」をアメリカ、中国などと協力して展開、シンポジウム、育児の講演会などを行っている。
創業者は、高齢ででありながら未だ現役で自らこの運動の先頭となっているが、
「3歳児まで愛情を受け快適な環境で育てることは、その子の一生を決定するほど大切なもの」と力説する。彼の自宅は創業当時の木造住宅。私財はほとんど育児研究につぎ込んでいるという。
この企業のベビーカーやチャイルドシートは、確かにクッション製に優れ、外部からのショックを和らげる機構、赤ちゃんの背中にたまる熱を逃がす機構など機能性は高い。ただ、他社と比べて多少割高感がある。この不況の中、価格競争に勝てるのだろうか。幸いに日本の消費者は、この企業の意図するところを汲んでくれているのか、ベビーカーやチャイルドシートのシェアはトップクラスを保っているという。
赤ちゃんは柔らかくてグニャグニャだ。その赤ちゃんが快適だと感じるのはどういう状態だろう。あんな小さな赤ちゃんでも不快に対してはストレスを感じている。だからこそ大人が守ってやらなければならないのだろう。
「でも赤ちゃんはしゃべれない。ここが痛いとか、窮屈だとか説明できないのです」担当者の言葉はいつまでも耳に残った。
たった一人の情熱が
「あの、今でこそシェアトップクラスにいますが、かつては4、5番手と低迷していた時期もあるんですよ」とテレビメーカーの担当者。今日の隆盛からは信じられない話だ。
もともとこのメーカーは技術に定評があり、テレビについても画面がちらつかない独自の方式を持っていた。その技術が出た当初はシェアトップクラスを謳歌した。その時の担当者は栄転で海外へ。その後、目玉となる技術の開発ができずにシェアダウン。海外から10年ぶりに帰ってきたその担当者が目にしたのはかつての勢いは見る影もないシェア4、5番手の低迷状況だった。
その担当者はダレ切った社内の営業部門に活を入れ、技術部門の尻をたたいた。無風状態の社内に荒れまくった台風のようなその行動は最初は敬遠されたが、決してペースダウンをせず、マイケルジャクソンをCMに使うなど大博打を打った。シェアは確実に上がり、尻をたたかれた技術部門が出した世界初の平面ブラウン管が復活劇を完結させた。
始まりはたった一人の情熱からだった。
この人はいつも熱いなあと感じさせたのは電話機メーカーの商品企画担当者。電話機のシェアはその頃4、5番手だったと思う。
「このコードは耐久性の高い一番高い物を使っているし、プラスチックの質も塗装も一番いいものです。大概のメーカーがこういう目立たないところをコストダウンする。でも電話機は長年使うもの。長い時間で必ず差が出てくるのはこんなところなんです」
商品に自信を持っている人の話は聞いていて気持ちがいい。このメーカーはそのうちにきっとヒット商品が出ると思っていたら業界初のハンズフリー機能付のコードレスホンを発表。たちまちシェアトップに躍り出た。たった一人の熱き情熱がようやく実を結んだのだ。
メーカーの取材をしてわかったのだが、トップ企業が全ての製品のトップシェアを持っていないということだ。業界では4、5番手の企業がある製品についてはトップシェアを保っていることが珍しくない。そういう企業のその製品担当者に共通していえることは「熱」である。逆に低迷しているところは「冷めている」印象を受ける。
熱血教師ならぬ熱血社員がいるところは必ず伸びると私は思っている。NHKの番組「プロジェクトX」に登場してくる人たちもほとんどがそういう人々だ。そしてそういう人々の「熱」はどこから発せられるのだろうか?
私が出会った人々は純粋にいい商品を出したいという思いをもつ人たちだった。またそのいい商品が彼らの自信となり、発熱の源となっていたようだ。
社畜と呼ばれるようなモーレツ社員は暑苦しい。しかし「熱」を持った人は暑苦しくない。モチベーションの違いがそこにはある。司馬遼太郎はかつて「外国人が金持ちになりたいと一所懸命働くのと違い、日本人は自分の仕事に誇りを持つために一所懸命に働く」と述べている。「熱」はそういう職人気質の日本人の遺伝子なのかもしれない。
商品担当者だけでなく、広報や消費者対応部門担当者に取材をしていて一番うれしいのはそういう「熱」を持った人々に出会えることである。
けんかに夫が勝つ方法
「あの、最近の不祥事続きの食品業界、衛生管理なんてひどいわね」と、ナカムラさん。アタシ何を食べていいか、わからなくなっちゃったわよと憤慨。
確かにここ数年、食品業界では食中毒事件、異物混入、残留農薬、偽装表示、賞味期限切れ食品の使用など消費者の信頼を失墜するような事件が続いた。行政はようやく重い腰を上げ様々な規制強化に乗り出したが、まだまだ甘さが残ると消費者団体から指摘されている。ルールをきちんとしてもそれを守らなければ絵にかいた餅。食品業界は誰が見ていなくても良心に従い消費者に安全なものを届けるという使命感に立ち戻ってくれることを願いたい。
ナカムラさんとは家族ぐるみお付き合いでよく飲み会などを行うのだが、いつもは気の小さいナカムラさんのご主人がお酒が入るとちぃーと気が大きくなる。
先日の飲み会でも口が達者な奥さんにやり込められてたナカムラさんのご主人が奥さんがトイレに立った隙を見て「あいつ、いつでも大きな顔をしていますが、ひとつだけ弱点があるんですよ。この間、けんかをした時にまくし立てるからそっと冷蔵庫にいったんですよ」
「ビールでも飲んで勢いをつけようとしたの?」
「出したのはきゅうりですよ」
「きゅうりで殴ろうとした?」
「ははは、腐りかけのきゅうりを天にかざしてナンダこれは!これで形勢逆転ですよ」
冷蔵庫 腐ったきゅうりで 夫勝つ
それを聞いてはっとしたのは私を含めて会に参加した奥さん連中。家の中はキレイにしている人でも冷蔵庫の中まで自信はない。食べられずに捨ててしまった食品も数少なくない。特に冷凍庫は一見して何だかわからないものが多く、解凍する勇気もない。
ジッパーのついた保存袋のテレビCMで冷蔵庫から食品を取り出し、研究者が交わす「先生、これは昭和の日付です」「それはすごい」という会話をアハハと笑い飛ばしてはいたが、さすがに昭和はなくても賞味期限どころか、完全に食べてはいけない期限切れの食品が一つや二つは入っている。ミイラ化したごぼう、はしがとけた野菜類、ホームフリージングしたのがいつか忘れたカレー、開封してからおそらく1週間を過ぎているハムやちくわ。「開封後はお早めにお食べくださいと」という表示が痛々しい。実際に食中毒事件の半数は家庭で起きているのだという。
「食品企業の衛生管理に文句言う前に家庭の衛生管理をしっかりしろ」と自分に突っ込んでみる。耳の痛い話でした。
おいしいドレッシング?
「あの、お宅の油を使って炒め物を作ろうとしたらパチパチはねて目に入ったわよ。どうしてくれんの?」。ひどい剣幕の電話の声にあわてて駆けつけた油メーカーの人。電話の主は若い主婦。油のビンを手渡す手が怒りでブルブルで震えている。
「確かにうちの油です。中身を確かめさせていただきます」と手のひらに中身を出し、メーカーの人がひとなめした。しばらくして
「これは大変おいしいドレッシングになっていますね。フライパンではねたのはお酢としょうゆが入っていたからですね」
いわれた主婦はわけがわからずきょとんとしている。ひとなめして
「あら、中華ドレッシングになっている」
事実はどうもこの家の夫が残り少ない油にしょうゆと酢を足してドレッシングにしていたのをビンが茶色だったこともあって気づかずに油いために使い、はねたということらしい。主婦は急に恥ずかしくなったのか平謝りして、「近所の奥さん連中にもお宅の商品を買わせるから」といったという。
封を開けてすぐの油がはねたなら苦情をいうのも当然だが、しばらく使っていた油が、急にはねたのなら家庭で何かが混入したと考えるのが普通の感覚。じっくり調べてみる冷静さも必要だろう。
「炊飯器から変なにおいがする」という苦情があった。これは一大事とメーカーの担当者が駆けつけると、確かにご飯がかすかに臭う。炊飯器の機械部分から出る臭いかと調べてみると全く異常はない。
「今日はどなたがお米を研がれたんですか?」
「娘です。ちゃんとお米を洗ったよねぇ」と隣の部屋の娘に声をかける。
「うん、そこの洗剤使ったけど」と娘が返事した。
「・・・・?洗剤?あんた洗剤使ってお米研いだの?」
「うん」
日曜日に放映される「噂の!東京マガジン」というテレビ番組の名物コーナーに行楽地に来た若い女性にその場で料理を作らせる「やってTRY」というのがある。その中で「お米を研ぐ」というテーマの際、洗剤で洗う女性も何人かいたからこの娘は若者の中では特殊なケースではないようだ。まともに料理ができるのは、10人にひとりぐらい、魚や肉の種類が見分けけられない、料理方法を知らないのは序の口、熱せられた油の中に汁物を直接入れようとしたり、目を離したフライパンの油に火がついてキャーキャー騒ぐ女性もいて、これじゃ台所は危険地帯になるといつもハラハラさせられる。
PL法が施行されて、企業はありとあらゆる事故を想定して、注意事項を羅列するようになった。しかし、企業にとってPL法より恐ろしいのは、常識の通用しない若い消費者が増えていることだ。若者を甘やかして育てたツケがこういう形でまわってこようとは・・・。やっぱり常識的なことはきちんと家庭で教えてほしいなあと思います。
80万円の鍋の魅力?
「あの、私ね奮発しちゃった。多層ステンレス鍋ね。これがすごいのよ。ケーキも焼けるし、油を使わない無水調理ができてダイエットにいいんだって」。
近所のイマイさんは気のいい人で仲良しなのだが、今日のイマイさんの笑顔は2倍にほころんでいる。どうやら鍋を自慢したいようだ。
「イマイさん、いくらしたの」。主婦の興味はまず値段だ。
「ふふふ、本当に奮発しちゃった。10個ぐらいのセットなんだけど80万円。でもローンを組んだのよ」
「は、はちじゅうまんえん?何それ」。私を驚かせてイマイさんの笑顔は3倍になった。
「でも一生ものだから。いろいろ作れるんだから。実演でみせてもらったのよ」
ここまで聞いて合点がいった。イマイさんは鍋のパーティー商法にまんまと引っかかってしまったようだ。
「イマイさん、落ち着いて聞いてね。ケーキも焼けるし、無水調理もできる多層ステンレス鍋だって、デパートで10個買っても高級なものでなければ5万円ぐらいで買えるのよ。その鍋の16倍よ80万円は。80万円の鍋には16倍の魅力がなければならないのだけれどある?」
「う~ん。いわれてみればそうよね。16倍の魅力はないわね。それどころか重くて使いづらくて、結局いつも使うのは今まで使っていた軽い鍋だわね。鍋でケーキができると聞いてワォと思ったけど作ったことはないわね」
イマイさんの顔から笑顔が消えた。
その後日、イマイさんが咳き切って駆け込んできた。
「大変よ。サトウさんがね。30万円の外国製の掃除機を買わされたんだって。エアコンの掃除をされて、カーペットのダニを吸われて、排気が日本製よりきれいだとか何とかいわれて30万円よ。ご主人に内緒でね。だから夜は押入れにしまいこんで使えないんだって」
イマイさんにしてもサトウさんにしてもへそくりを一杯持っている。うらやましい。
「サトウさんがこの掃除機は耐久性がいいから20年間使えるってセールスマンが言ったって自慢したから掃除機は5、6年もすれば排気がくさくなるのに20年もくさい排気のまま使い続けなければなんないわよっていってやったわよ」
イマイさん、自分のことは棚に上げて得意顔だ。
イマイさんやサトウさんのように訪問販売で高額な商品を買わされる消費者トラブルは後を絶たない。訪問販売で扱っている商品自体はきちんとしたメーカーが製造している商品が少なくはない。問題はその価格だ。
訪問販売はセールスマンの歩合が大きいため商品の販売価格が市場の数倍になることも多い。どうしてもその商品が欲しいと思ったら、電気店やインターネットなどで市場ではどれくらいの価格で販売されているのか調べてみるべきだ。
イマイさんが購入した鍋は10万程度、サトウさんが購入した掃除機は5万円程度で同じような性能のものが手に入るはずだ。特に高齢者はこの市場価格をよく知らないので騙されやすい。
また、セールスマンがいう「この商品は一般売りしていないのでここでしか手に入れられません」というのもほとんど詐欺。訪問販売であろうが、通信販売であろうが、本当にいい商品で消費者に人気の商品が一般売りされていないわけがないと思った方が無難だろう。
因みに掃除機の排気のキレイさについてだが、熾烈な性能競争を毎年繰り返している日本のメーカーの掃除機より排気がクリーンな掃除機は世界にはないと、長年取材を続けている私は断言できますよ。
デザインを良くした上司の力
「あの、以前から比べると格段にデザインがよくなってきましたね」という私の質問に答えたのは冷蔵庫を販売している家電メーカーの商品企画の担当者。
「デザイナーがかんばっていますからね。自由にやらせているんですよ」
このメーカーの冷蔵庫はシェア的には上位ではないのだが、ここ数年発表した冷蔵庫はビビットな色使いで斬新なデザインが注目され、他のメーカーにも影響を与えている。
「以前はデザイナーが出した案を会議にかけると上司からあれやこれやと注文が出て、結局無難なセンに落ち着くというパターンだったんです。うちみたいなシェアの小さいところはそれでは目立たない。そこで思い切った策にでたんです」
「デザインを外部に発注するとかですか?」
「いえ、簡単なことですよ。上司の口出しを禁止したんです。上司はデザインについては素人ですからね。上司の意見を入れていくと、どんどん野暮ったくなっていきますから。金は出すが口は出さない。そうしたらデザイナーも俄然張り切っていいものを出してきました。決定権が自分たちにあるから責任感も出てきてマーケット調査も自分たちで自ら進んでやりはじめましたから」
日本の会社は縦社会で、どうしても上司に権限が集中してしまう。すると自分の得意分野でもないのにいちいち自分の考えを押し付ける上司も少なくない。日本の家電製品のデザインは今でこそよくなってきているが、ヨーロッパのメーカーと比べると、全体的に野暮ったさが残る。家電メーカーの担当者は、一度ヨーロッパ系の家電製品がおいてある秋葉原のリビナヤマギワなどの電気店に行った後、その近所の家電製品の電気店に入ってみて欲しい。その差は歴然だ。ヨーロッパ系の家電製品は性能では日本製に劣り、価格ははるかに高い。それでも購入する人がいるのはひとえにそのデザインのよさからだ。
ヨーロッパ系のデザインはなぜいいのか?伝統的にデザイナーの地位が高いからではないだろうか。日本のメーカー内デザイナーの地位は単なる一社員、部下であり、スペシャリストの扱いを受けていないことが多い。自信を持ってデザインしたものをデザインの素人の上司に改ざんされる。これではいいデザイナーは育たないし、いいデザインも生まれてこない。「生産ラインの大幅な変更はコスト高を招くからデザインの改ざんも仕方ない」という言い訳もあるかもしれないが、それならそれだけの条件内のデザインをデザイナーに依頼したらすむことだろう。
ある程度の訓練ができたなら口を出さないのが上司の力である。部下を信頼して、部下をスペシャリストに育てようとするのも上司の力である。冒頭のメーカーのように上司口出し禁止策を受け入れた上司の度量はすごいと思う。このメーカーはきっとこれからもいいデザインの商品を生み出していくだろう。
また、家電製品は日本の基幹産業であり、経済大国を築くための礎であることはこれからも変わらないだろう。その性能のよさは定評があってもデザインの良さはヨーローッパ、アメリカはもとより韓国にさえ負けているのが現状だ。もし日本製品にデザインのよさが加われば、世界中の人が日本製品を憧れを持って買ってくれるだろう。
さて、デザインを良くするためにすぐに海外の有名ブランドやデザイナーとのライセンス契約という方向に走る企業もいる。しかし、日本には古くからの伝統があり、ジャパニズムとして日本人の美意識は世界も注目してきた。日本製品のデザインはそういう中で生まれるべきであると思う。安易に海外の有名ブランド、デザイナーの名を借りることのないように願いたい。
また、国は成長戦略の中にデザインの向上を入れるべきで、形骸化している「グッドデザイン」ではなく、例えば賞金が1億円くらい出るような「デザイン大賞」を設けて、国を挙げてデザインのセンスアップができるような政策を打ち出してほしいものだ。
ブランドはブラインド
「あの、貴社の製品を日本人が購入しなければ、貴社は確実にやっていけないですよね」。こんな質問を投げかけると、この秋、六本木ヒルズに出店した超高級ブランドのフランス人広報担当者は、一瞬にらみを利かせた顔を向け「日本人は大事なお客様です」と微笑んだ・・・という夢を見た。
この不況下でありながら日本人の高級ブランド志向はとどまるところを知らない。今、銀座や丸の内、六本木などは相次いで高級ブランドの出店ラッシュだ。開店時は行列ができ、大きな袋を抱えた人々が次々と出てくる。親子で総額20万円分買ったという話もここでは特別な話ではないらしい。
日本人のブランド熱はバブルの頃がピークだったと思っている人は多いかもしれない。しかし、バブル崩壊後の1996年から2000年の5年間でヴィトンは日本国内の売上げを629億円から933億円に伸ばしている。その11年後の2011年は2300億円を越えている。なんと2000年は日本での売上げは同社の世界の売上げの35%を占めていたという(2011年は8%に後退)。
ヴィトンに限らず2000年の国内の売上げはシャネル345億円、エルメス241億円、その他グッチ、カルティエ、サンローラン、ディオール、ティファニー、フェラガモ、プラダ、ローレックス、ヴェルサーチ、ダンヒル、ウエッジウッド、マイセン、ブルガリなどなど日本市場を当て込んでいる高級ブランドは多い。
「日本の女子高校生は売春をして高級ブランドを買い漁っている」などと海外の新聞で取り上げられるほど、ブランド熱があまりにも過熱したために起こる、売春や窃盗なども社会問題化している。
なぜ、高級ブランドを持ちたがるのか?それは「ひと目見てわかりやすいから」というのが一番だろう。高級ブランド品を身につけていれば、豊かな暮らしをしていそうに見えるから。だから身につけるブランドは誰でも知っている有名なものでなければ意味がない。
「海外旅行に行くから東京のディスカウント店でヴィトンのボストンバックを買うてくれ」
「何でヴィトンなの?10万円ぐらいするらしいよ。いかにもって感じだから違うブランドにしたら?私が探してやるよ」
「馬鹿たれ。ヴィトンじゃなきゃ俺たちの仲間の田舎モンにはわからんよ。ヴィトンだったら『オオゥ』って驚くんじゃい」
確かにどんな田舎でもスーパーのレジでヴィトンの財布を取り出す人が幾人かいる。銀座や丸の内、六本木など高級ブランドの開店セールに並ぶ人も地方から来る人が多いのだという。一方、都会では、なるべくわかりやすいブランドを避け、お気に入りのデザイナーを発掘するなど個性を主張するブランド使いをする人が多いような気がする。バブルで都会の若者から始まったブランド熱がやや遅れて地方に蔓延し、中高生や中高年まで浸透していって、その結果が売上げ増につながったのではないだろうか。高級ブランドにこんなに希少価値のない国も珍しいだろう。
さて、高級ブランドは本当に高品質なのだろうか?ヴィトンはその材料の多くが合成樹脂だし、プラダは合成繊維で天然皮革ではない。革と違って一度傷がつくと修復不可能なケースが多い。20万円のシャネルのバックは天然皮革ではあるが、皮が薄すぎて洗面台などに引っ付いてはげたという苦情が殺到したこともあった。品質だけを取るなら革や縫製の質は日本の老舗のバッグ店の方が上だろう。
デザインは確かに一流のデザイナーが担当しているだけにセンスは良いがデザイン料にかなりの大枚を払っていることになる。ただ、デザインにこだわる割に欧米のブランド好きなら誰でも知っているそのブランドのメインデザイナーの名や経歴を知ろうとする日本人は数少ないのも不思議な話だ。
また、直輸入商品は本国のデザイナーがデザインしているのだろうが、ライセンス商品はまず日本人のデザイナーがそのブランドっぽく20パターンぐらいデザインし、本国の担当者がその中からいくつか選んでOKを出すというカラクリになっている。洋服、バッグ、傘、靴、ネクタイ、タオル、ベッドカバーなどあなたの身のまわりにあふれるブランドのライセンス商品。ブランドのマークがついているから少々高くてもありがたく買ってはいないだろうか。そのほとんどが実は日本人のデザインなんですよ。
しかもブランドライセンスのネクタイを販売している会社に聞いた話だが、日本人デザイナーが提案したデザインで採用されなかったものは、返却されることはなく、時として、次のコレクションで本国のデザイナーが「盗用」することも日常茶飯事なのだという。高級ブランドがデザインのよさを評価されているその中のいくつかは日本人のデザイン力かもしれない。
ところで、高級ブランドを買い漁る日本人を当の高級ブランド会社はどう見ているのだろうか?フランスやイタリアの本店の店員が日本人観光客の団体を見る目は、冷ややかで、本当に大事なお客様という雰囲気は伝わってこない。上流階級の客とは別扱い。お金を落としてくれる「ネギカモ」としか思っていないだろうなと思ってしまう。また、一般市民もパリで若い日本人女性が高級ブランドのボストンバッグを抱えていたらメイドぐらいにしか見ていないとも聞く。本当の上流階級の人種は自分では荷物を持たないからだ。
欧米では高級ブランドは、上流階級やエグゼクティブクラスの御用達だが、クラス意識が希薄な日本では誰でも持っている。ブランド熱を牽引しているのも芸能人やスポーツ選手などの「にわか成金」の人たちというのもこの国の特異なブランド事情だ。
ともあれ、高級ブランドの世界の七割を買い漁っているという現状は、恋は盲目ではないが、「ブランドはブラインド」になってしまっている日本人があまりにも多いことを物語っている。
一方、女子高生が上履きにシャネルのマークを手書きして「なんちゃってシャネル」と遊んでいるという。この話を聞いた時は「してやったり、高級ブランド会社に一矢報いた」と溜飲を下げた。盲目的な高級ブランド崇拝よりもこれぐらい一歩引いた洒落心で付き合うぐらいがちょうどいいのではないか。こういう若者がやがて日本独自のブランドを立ち上げてかつて高田賢三さんがパリジェンヌにあこがれられたように世界的なデザイナーになってほしいと思うし、デパートなどの流通はそういう人材の育成も使命としてほしいと思う。
あの世で別居?
「あの、私主人の墓に入りたくないんですよ。そういう女性が入れる墓があるそうですが・・・」。ここは神奈川県のとある町の公民館。高齢者の消費者問題として遺言や相続、葬式、墓の問題について話をという講演依頼があり、最後の質問タイムで中年の女性から飛び出した発言に私はぎくりとした。
葬式や墓の問題は価格が業者の言いなりで高すぎるとか、戒名代に50万円請求された、互助会の解約料が高いなどの問題が消費者センターなどに苦情で寄せられているので、選択は慎重にという話をした。しかしこの質問は、消費者問題から逸脱する。
「独身女性のための共同墓地『もやいの会』があるようですが・・・」と私は答えながら、入るとなるとご主人と離婚ということになるのかななどが頭をめぐった。
「そうですか・・・」と彼女は力なく席に着いた。私を驚かせたのはその後の光景だ。その女性の周りで何人の女性が
「私も主人の家の墓はイヤだわ」と口にしたからだ。会場には100人ぐらいの中高年の女性がいる。
「えっー。他にもそういう方がいらっしゃるのですか?」という私の質問に20人近くが手を上げた。
「死んでまで主人の小言を聞きたくないわ」「主人はともかくも主人のお母さんと一緒はいやなのよ」「できれば自分の親と一緒がいい」。人それぞれに理由があるようだ。
後日わかったのだが、共同墓地『もやいの会』は私の勘違いで、独身、既婚、男女を問わず賛同する人は埋葬ができるという。入会費1万円、年会費2千円、遺骨埋蔵料10万円で生前の契約が必要だ。
同会の趣旨には「世代、地域、信条、宗教を超えて、ともに手をつなげる場にしていきたいと考えています。近年、「家族」が大きく変わっています。非婚、ディンクスなど、
ライフスタイルも多様化してきました。にもかかわらず都営墓地をはじめ、多くの墓地の運営形態は依然「家」を基準に定められています。これでは「自らの意志で子供を作らない」「夫と同じ墓に入りたくない」などという人々は、終の住処としての「墓」が手に入れにくくなっており、無縁墓が増えるという問題も深刻化しています。「もやいの会」はこのような社会の変化に対応し、生前よりご縁作りをしていただき、「家族」や「宗教」を超えて、自らの意志で「終の住処」を決めておく。そんな新しい形の合祀墓を持つ会です。」とある。
この会の趣旨でも「私主人の墓に入りたくないんです」というニーズが決して少なくないことがわかる。
夫が退職金を手にしてから妻が離婚を言い渡す「熟年離婚」が増えているという。夫の墓に入りたくないというのはそういう勇気がない人の最後の抵抗なのかもしれない。熟年離婚にしても墓の別居にしても聞かされた夫は寝耳に水、理由がわからないことだろう。そんな鈍感なところが一番の理由なのだろうが。
日本は先進諸国の中では離婚率の低い国だ。そのため夫婦仲は比較的悪い。逆説的に聞こえるかもしれないが、離婚率の高い国では相手がいやになれば簡単に離婚できるので結婚を続けている夫婦は仲がいい証拠。一方、社会的に離婚が困難な(離婚後の生活の保障、世間体、子どもの養育など離婚後の環境が恵まれていない)日本は、仲が悪いのに我慢して結婚生活を続けている夫婦が多いといえる。因みに離婚後子どもの養育費をちゃんと支払う夫は23%だという。子どものために離婚を我慢する妻は多い。だからせめてあの世では別居したい。なんとも切ない話だ。
講演では「高齢期の人生を輝かせるのは、財産ではありません。大切な身近な人と心を通わせて穏やかな温かい日常を過ごすことだと思います。そのためには奥さん自らご主人に優しい声をかけ、たまには手を握ってくださいね」と結んだが、すかさず、一番前にすわっていたおばあちゃんが「そんだことあたしゃできませんよ。先生はうちの亭主を知らないからそんなこといえる」と口をはさんだため、会場は爆笑の渦となった。
見せる店、見せない店
「あの、最近、ある法則を見つけたのよ」と友人のミツコが得意顔だ。ミツコの法則はヘンなものが多いのだが、今回はウーンとうなずかせるだけのことがあった。
「流行る店と流行らない店ね。見せるか、見せないかという点が違うのよ」
「見せるって店頭のショーウインドウで商品のサンプルとかの話?」
「違うのよ。店の中を窓から見えるようにするか、どうかってこと」
ミツコの話だと最近流行の店に関して共通点は窓を大きく取ってあり、店内が見えるようになっているところが多いのだという。いわれてみれば、コンビ二はガラス越しに店内がのぞけるし、パン屋はできたてのパンを外から見えるようにしている。コーヒーショップにしても客が窓の方を見て飲んでいる様子がわかる店が増えた。蕎麦屋やラーメン屋は厨房まで見えるようなところが多い。近所にできた美容院は店の壁が全てガラスで店内は丸見えだ。店内が見えると客が入っているところがわかるので安心して入ることができるため、客が入る、客が客を呼ぶ効果があるようだ。
一方、流行らない店は大概窓に何かを張って店内が見えなくなっている。開店時は大きなガラス窓をぴかぴかに磨いていた店が、そのうちにお品書きやポスターを貼って、店内を見えなくしていく。そうなると閑古鳥が鳴く店になってしまう。どうも店主に客の入りが悪いのを隠したいという心理が働き、窓をふさぐような気がする。きっと、客が店をのぞいて客がいないと入るのをやめたという光景を何度か目にしたのではないだろうか。また、外からじろじろ見られると客が落ち着かないのではと思っている店主もいるようだが、そんな心配は無用だ。
店内が見える店が客が客を呼ぶのに対して、店内が見えない店は客が引く。客が入らなければ隠そうとする。客はますます入りづらくなる。そういう悪循環であることを多くの店主は自覚していない。
「店内が見えなくていいのは高級店ぐらいなもの。高級店なら多少、神秘的な雰囲気をかもし出すように店内が見えない方がいいし、客も落ち着くから。でも一般店はなるべく店内を見せないとダメ。これは情報公開法則よ」とミツコはまくし立てる。
こんなところで情報公開が出てくるところがミツコらしいが、特に飲食店は、一連の食品産業の不祥事が出てから人々は衛生管理にますます警戒心が強くなっている。「うちは隠すところはありません」と見せる店は清潔かどうか一見すればわかるが、店内が見えない店は、客にとっては一か八かの勇気が必要だ。
また、店内を見せるには店内を常に清潔に保つこと、店員がきびきび働くこと、窓を磨くことなど楽なことではない。だからこそ、その努力をしている店を客が選択するのは当然なのだろう。
今の不況下では、どんなにおいしい料理を出しても価格が安くても繁盛は長続きしない。次々と新しい形態の店が開店し、古い店がつぶれていく。おいしい店なのになぜか客が入らないという店主さん、あなたのお店の窓はふさがれていませんか?今は味だけでは客を呼べない時代。客の心理をよく研究して的確にニーズをつかむ。飲食店もマーケティング調査とCS(顧客満足)に本気になって取り組まなければならない時期に来ているのだと思いますよ。
<ミツコの法則>
見せる店は流行る、見せない店は、お先も見えない。
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